アイデンティティ

三度の飯の次に旅が好き^^

都内在住の会社員Bolita(ぼりーた)です。 → 自己紹介はコチラ

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もし自分が捨て子だったら?望まれて生まれてきたと思えるだろうか?どんな風に気持ちを立て直して、思いを消化して前に進めば良いんだろうか?

連投になりますが、DNA検査の話の続編です。

前回の投稿  

DNAを申し込んだ時の投稿

遠縁にあたる人がマイページ上でヒットしたので、サイト経由でメールをし、3人から返信が来たのが火曜の夜の話。

うち1人のJさんという40代の女性(アメリカ在住、3rd -5th cousin にあたる方)からのメールに思わず涙しました、、、

まとめるとこんな感じでした。原文は英語です。

 

「私は赤ちゃんの頃、韓国の孤児院に捨てられていました。養子縁組でアメリカに来たので、家族のことは何一つ知らないです。もちろん両親のことも。可能なら親を探し当てられるかもと望みを託し、このサイトに登録しました。40数年、両親に会いたい、家族のことを知りたいという思いを抱えて生きてきました。家族を知る手がかりになるかもしれないから、あなたの家族のことを少しでも教えてほしい。私の検査結果は、半分日本人。残りの半分が中国とモンゴルでした。連絡くれて凄く嬉しいです!ありがとう。」

 

いてもたってもいられず、父親にメールしました。Jさんの事情を話し、戸籍謄本を調べられるか?と。要は出来るだけ古くまでの家族の名前や出生地、生年月日なんかを調べて欲しいんだと。

その一時間後に父親からメールが来てたので見ると、「今市役所におるよ〜確認中😀」

はっや!仕事は?(笑)

と思ったけど、その行動力、見習わなきゃね。午前中には五世代分の情報がメールで送られてきました。

夜Jさんにメールで伝えました。何かの手がかりになればと思い。でも、親の名前すら知らないのであれば、私が伝える情報が手がかりになり得るのか? しかも、父方の五世代なだけなので、Jさんが私の母方の系統なら意味はないしな、、、。母方も調べて送るよう伝えました。

Jさんのご両親に、どんな事情があったかわかりません。子供を育てられない理由があったのだろうと想像するしかありません。きっとご両親は、娘のことを忘れたことは無いと思います。今でも会いたいと思っているかもしれません。探し出せなないだけかもしれない、、、なんとかしてあげたいと気持ちばかり焦ります。

今回の検査で、自分の歴史を知ることは、アイデンティティを確立するのにとても大切なことだとわかりました。自分が自分であることの根拠を探って、未来に向かって生きるために。自分のままでいいんだ。自分だからいいんだって足場が固まった気持ちです。

好奇心から始まったDNA検査でしたが、Jさんという深いストーリーをもつ親戚に出会うことで、家族のつながりや、遠いご先祖さまの名前を知るに至りました。

今回父親が調べた戸籍から、五代前の先祖の氏名や出生地がわかりました‼

一人一人のご先祖さまの名前を知り、一人部屋で呼びかけました。天国でびっくりしてるかな⁉ 名前を知ると、よりリアルな存在に感じられますね。うちは家系図があるような由緒正しい家系ではまっっったくないので、祖父母の名前しか知りませんでした。

先祖を遡るごとに、岡山県 → 豊島(香川の島) → 愛媛県 であることがわかりました。江戸末期のルーツは愛媛にありました。❗半三郎じいちゃん😁 シベリアやカザフスタンではなく純和風の人(笑) (期せずして先日愛媛の道後温泉に行ってきたばかり)

会ったことがないおじいちゃん、おばあちゃんたち、、、

どんなことに笑って泣いて生きたんだろう。今まで名前すら知らずにいてごめんなさい。

この人たちの一人でもいなかったら私はいなかった。もしかするとJさんもいなかった。うちの親も弟もいなかった。感謝と尊敬の念が溢れてきます。もはや興奮して眠れません(今深夜2時過ぎ、、、外は雨、、、ああ明日会社行きたくない)

江戸末期から明治大正、戦争を超えて今に至る家族。HNKのファミリーヒストリーを自作自演してます、いま(笑)

ご先祖さま、ありがとう‼いろんなチャレンジも、無理〜と思うことも困難も、世界一周旅行も、あなた達のDNAを受け継いだ遠い孫なんだから、あたし、出来るよね❓ 応援しててね。そんな気持ちで締めくくりたいと思います。

また続報があればお伝えします‼

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